幻のBOSO100マイル,の巻
幻のBOSO100マイル,の巻
「幻のBOSO100マイル」前編
1994年8月‥‥
南房総フラワーラインを、独りのブレードランナーが滑って行った。
車を走らせていた海水浴帰りの若い男女が、その姿を見たのだと言う。
いや、見たような気がする‥‥、と二人は顔を見合わせた。
そしてそれ以上のことは何も解らなかった。
彼はほんとうに、この道を来たのだろうか。
その二人連れが、風を見まちがえたのではないかと想えてならなかった。
その日は確か、八月一番最後の、一番熱い南風が吹き抜けていたはずなのだ。
*目 次*
八月の風
雷雨
デジャビュ
休息
目の前に、ゆっくりと一塊の黒い雲が流れて来るのを見ていた。
見晴らしの良い田舎道から眺めていると、雲は光って二度三度大きく振動し、それまで陽が照っていた大地へ、すーっと影を寄せてくるのだった。
後ろを振り返ると、まだ鮮やかな青い空も見えていた。しかし、それもやがて雲に覆われると、それまでじっと暑さに堪えていた木々が、風に煽られ、不安げな音を立て始める。裏返る木の葉が、まるで白目をむいているかのようだ。
雨は予想していなかった。
「まさか、朝からくるのか?」
そう想ってから数分もたたない内だった。一つぶ、二つぶと、大きな滴が音を立てて地面に落ち、さらに幾度かの雷鳴のあと、立て続けに雨が落ち始めたのだ。
キャプテンは慌てて木々が覆いかぶさっている場所まで滑り、そこで雨宿りすることにした。その直後、あとから自転車に乗ってやって来た地元の少年らしい一群も、キャプテンを少し追い越したところで止まった。彼らの視線は、ブレード姿のキャプテンと暗くなった空とを行き来していた。
それからさらに雨は勢いを増し、ザザーッと言う、ドキドキするような激しい雨音と共に、舞い上がった水しぶきで、道の両側の畑が見えなくなった。そして不意に、冷たくなった風に運ばれて、辺りには、雨と土ぼこりの匂いが立ち込め始めたのである。それは、長く続いていた夏の日照りの匂いでもあった。
キャプテンは雨の中を吹き抜けて来る風に、今日初めて心地よい気分を味わっていた。気温がぐんぐん下がって行くのが解る。温度計は30℃を示していた。今朝、キャンプ場を出発する時点で33℃を越えていたから、ずいぶん楽に感じられる。
いい気持ちだ。‥‥これだからやめられない。
雨と地面のいい匂いが、心の奥のたまらなく懐かしいものを呼び起こそうとしていた。とても懐かしい人を想い出せそうな気がした。
‥‥いい雨だった。さっき、この雨が降るまではひどく気分が悪くて、昨日の疲れとひどい筋肉痛に悩まされていた。それに、あふれ出る汗がしょっぱくないのだ。スポーツ・ドリンクは飲み続けているから、突然心臓が止まると言うことは無いと想うが、身体中の塩分が出切ってしまったようで不安だ。
そう言えば、昨日の昼から食事らしい食事はしていない。今朝はコーヒーと固形カロリーメイト。それに、わかめスープを飲んだきりである。それ以上はまったく食欲が無かった。しかし今はずいぶん気分が良くなって、そうだ、どこかで蕎麦を食おう、大盛り蕎麦、それから冷やしトマト、と言う気持ちになっていた。
雨が小降りになる頃、キャプテンは少年達よりも先に道路に飛び出していた。
「雨もいい‥‥」一度そう決めてしまうと気にはならなかった。タイヤのグリップさえ気をつければどうと言うことはない。それにこれは通り雨だ。
ほどなく、キャプテンが滑り出すのに触発されたのか、少年達の出発の合図が聞こえた。彼らはしばらく、つかず離れずついて来て、何かしきりに騒いでいたのだが、何げなく振り返ると、いつの間にか何処かへいなくなっていた。
また独りになってしまったか‥‥‥
そんな想いが一瞬、頭を過った。
*
昨日の今頃は、強烈な陽射しで、16号の路面温度は40℃を越えていた。その熱さと、キャンプ用具一式を詰め込んだ13kgの荷物のため、スケーティングに速度が乗らず、予定が大幅に狂ってしまったのである。
当初2年前と同様に、1時間ごとに10分間の休憩とスポーツ・ドリンク1本の予定が、10時に千葉駅を出発してから12時までに、5回の休憩と、サービス増量中の500mlアクエリアス5本を飲み干していた。つまり今回は30分ともたなかったのである。
いくら浸透性の良いスポーツ・ドリンクと言えども、短時間に2リットルを越える水分はさすがに胃に堪えた。やがて全く食欲が無くなり、そのまま昼食も取らずに滑り続けることになってしまった。
そのままのペースで、36kmを6時間滑り続けて、木更津に着いたのが午後4時頃。前回2年前はここで1日目が終了したのだが、今回はさらに15kmほど先の富津岬まで行ってキャンプする予定である。
ところが、もう身体はボロボロ状態になっていた。強い西日が殺人光線のように顔面に照りつけ、皮膚がヒリヒリと痛み始める。水分の取り過ぎで、腹具合もなんとなくおかしい。身体に変調の兆しを感じながら、富津岬へと続く16号を滑り始めなければならなかった。
木更津から先の16号は、道の両側を小高い山に囲まれた寂しい道だった。足元には狭い路側帯が有るだけで、歩道は無く、歩行者や自転車も見当たらない。その上、時速70km近い速度で、大型ダンプが何台もすぐ脇を擦り抜けて行く。
この道は本当にキャンプ場へ続いているのか? そんな不安にさいなまれた。途中、火力発電所とか、あるいは人気の無いとてつもなく巨大な倉庫や工場が見えて来ると、やっぱり木更津まで引き返そうかと弱気になった。赤い西日のせいで、風景がさらに荒涼としたものに見える。後悔がやたら込み上げて来る。
風景だけが頼りなのだ。ブレード・ランナーは、長時間に渡って無機質な風景の中を走っていると、次第に神経がやられてしまうのである。この土地もまた、悲しい荒野のようだった。
もうろうとして滑り行くブレード・ランナー。力尽きるのも時間の問題かと想われたそのとき、反対側から来る車の多くが海水浴帰りであることに気づき、消えかけた心に再び火が灯る。地図によれば、キャンプ場と海水浴場とは同じ場所にあるはずだった。だとすれば、彼らが来る方向には絶対にキャンプ場が有る、それだけは確かだ。
さらに、すれ違う車の何台かに、「ガンバレ!」の声をかけられると、より力が湧き上がるのを感じた。見も知らぬ人々の、それも一瞬のひやかしかも知れないその言葉の威力に、独り感動していた。『言葉は神なりき』‥‥聖書の一説が、頭の中に浮かぶ。
しばらくして建物の類いが見えなくなり、今度は大平原かと想えるような広大な風景が開けて来た。畑なのか、ただ何も無い土地なのか、記憶は漠然として残っていない。が、土地が広くなって道も広くなり、両側には出来立てのきれいな歩道が現れた。これでようやく一息つける。このままこれが続けばいいのだが‥‥
気温は下がる気配無く、したたり落ちる汗も変わらない。もはや休憩しようと言う気持ちさえ起こらず、とにかく早くたどり着きたい、その想いだけになっていた。
‥‥なのに風景が広すぎて、なかなか前に進まない。
キャプテンは自分に言い聞かせた。
「とにかく真っすぐ進むのだ、真っすぐ‥‥」
いや待て?
‥‥ここは一度通った場所だ。見覚えが有る。しまった! いつの間にか逆走してしまったのか? あわてて100mほど引き返す。すると見えて来た道路表示には、『↑木更津』と有る。おかしい。これでは逆戻りしてしまう。やっぱりあっちで良かったのか?
キャプテンの精神は、極度の疲労から、軽い錯乱とデジャビュを起こし始めていたらしい。磁石で正しい方角を確かめ、もう一度元の道へと戻った。だがその後も、先へ進むほど、ずっと以前この道を通ったことがある、と言う感じが込み上げて仕方がなかった。
午後6時を過ぎ、辺りが薄暗くなるころ、漁師町らしい場所に入った。そこから少し道に迷って、やっとのことで富津岬のキャンプ場にたどり着くことが出来た。
着いてしばらくの間は、体中に痛みが走り、地面にうずくまったまま何もすることが出来なかった。30分ぐらいボンヤリと他のテントの様子を見ていた。若い男女や親子連れが、にぎやかに食事の支度をしているところだった。
それから気を取り直し、テントを張って、キャンプ場のはずれに設置されたシャワーのぬるい水を浴びると、少し気分は良くなった。だが食欲は無く、身体全体が異常な熱を発していた。
とりあえず、漁師町の酒屋で買っておいたビールで独りだけの乾杯をしたが、錆びたような味がして、半分ほどで喉を通らなくなった。以前、肝臓を悪くしたときと同じ味だった。少し肝機能が弱っているのかも知れない。
何か食べなければと想い、フリーズドライのキノコ・リゾットをお湯で戻して、無理やり口に入れたが、ムカついて戻しそうになった。しかし何も食べないのはまずいだろうと、水と交互に口に入れては飲み込んだ。
食器を片付けると、もうそれ以上は起きていることが困難で、マットを敷き、シュラフをかぶって横になった。ところが、身体中から発する熱が治まらず、熱くて眠れないのだ。やがて頭痛も起こり始め、おまけに港が近いらしく、船のエンジン音と霧笛がひっきりなしに聞こえて、ますます目が冴えてしまう。
このままでは一睡も出来ずに夜明けを迎えてしまうかも知れない、そう考えて怖くなった。この激しい疲労に加え、食欲無し、睡眠不足となれば、明日は間違い無く何処かで倒れてしまうだろう。リタイアだけは、どうしても避けたかった。
キャプテンは一度起きてテントから出ると、夜風にあたりながら、キャンプ場から少し離れたところにある公衆電話へと向かった。気分転換に、鴨川キャンプの幹事である遠藤君に、途中経過を報告しておこうと想ったのだ。(鴨川キャンプ:ゴブリンズの夏季合宿。ようするに海水浴)
ところが、電話にたどり着き、話し始めた途端に、
「熱すぎてダメだ。もうオレは真夏のブレード走行は二度とやらないだろう。これからどうなるか、まったくわからん。とにかく明日、もう一度滑ってはみるけど‥‥‥」
そんなことを話していた。
「そういう言い方、初めて聞きました」
遠藤君のその返事を聞いて、キャプテンは自分がひどく弱気になっていることに気づいた。今までならどんなひどい目に有っても、途中であきらめることなどなかっただろう。初めて、自分の正直な気持ちに気づいて、軽いショックを受けていた。だが、このまま身体の熱が下がらず、一睡も出来なかったら、ほんとに何処かで倒れてしまう。
「どうしたら熱が下がるだろう? もう一度シャワーでも浴びてみようか?」
そんなことを考えながら、戻る途中、キャンプ場の土を踏んでいる内に一つのアイデアが浮かんだ。
「そうだ地面だ!」
そう想いついてテントに戻ると、急いで中のシュラフとマットを端にどかし、底のシート一枚を隔て、うつ伏せになって身体を地面に押し付けてみた。すると‥‥、想った通りだった。まるで毒が吸い取られて行くように、熱病の身体が急激に地面に冷やされて行くのである。
「いま、大地に癒してもらっている」
そんな感慨に包まれていた。ほどなく楽になって、頭の芯から心地よい眠気が広がり始めて来た。寝入りばなの寒気を背中に感じ始めたところで、その眠気が消えないように、そっとシュラフに潜り込んだ。
*
雨が小止みになって来るころ、道は内房線沿いを走り始めた。通り雨だから、これ以上の心配はなかった。気温は30℃。30℃がこんなに涼しいものだとは想わなかった。しばらくの間この曇り空が続いてくれたら、かなりのペースで進めるはずだ。
‥‥と喜んだのもつかの間、急に、腹痛が起こり始めたのである。痛みと言うよりは、重い不快感と言った方がいいだろうか。それほど急を要するものでは無かったが、休憩も兼ねて、近くの駅のトイレを貸して貰うことにした。
腹痛は大したことはなく、用を足して準備をしなおすと、また出発した。車通りの少ない田舎道、今は気分もすっきりしている。ちょっとした山道だが、水分の補給に注意して、このまま体調を崩さなければ、けっこう行けそうである。道の表面は粗かったが、深い木々に囲まれた山道の風情が、気持ちを穏やかにしてくれた。
やがて歩道が現れたので、その上を行くことにする。東京湾観音を過ぎた所で、サイクリングの親子連れとすれ違った。挨拶を交わし、さらに先へ進む。道は急な下り坂となって、鉄道を渡る陸橋の上に出た。眼下に駅と線路、その周辺の家並みが、小さな箱庭のように見えていた。そこへ思いがけなく、曇り空のすき間から薄日が射したのである。一瞬にして辺りが明るくなり、雨の滴を含んだ山の緑がキラキラと輝き始める。そして下界からは、夏の匂いのする風が吹き上げていた。
この美しい光景を、独りで楽しむのは申し訳ない気がした。だが、快感を分かち合うには、数十キロの苛酷な工程を経なければならないのだ。キャプテンはその坂を出来るだけゆっくりと滑り降り、風景を楽しみながら、下に見える小さな駅を目指していた。駅名を調べ、地図で今いる位置を確かめる必要があったのだ。
たどり着いてみると、そこは内房線『佐貫町駅』だった。地図によれば、駅前のT字路を左に折れると127号にぶつかることになる。そのまま真っすぐ行っても行けなくはないが、道幅が狭く歩道が無いことが気持ちを鈍らせた。それに、前回二年前のブレード走行のとき、冷たい井戸水で水浴びをさせてくれた「しゃぶしゃぶ屋」が、127号沿いに有るはずだった。そこをもう一度覗いてみたい気持ちも手伝って、ここは左に行くことにした。
その間に、天気は随分回復し、またあのうんざりするような太陽が、照ったり陰ったりを繰り返し始めた。127号に出たところで、今度は十字路を右に折れた。そのまま道なりに行くと、間もなくあの白いしゃぶしゃぶ屋が、山を背景にして見えて来た。手前にある畑には誰もいなかった。二年前の夏は、あの畑で仕事をしていたおやじさんに水浴びを薦められたのだ。
店の前まで行って、一段高くなっている駐車場に登った。そこから入り口付近を覗いていると、まるで待っていたかのように、中年の女性が掃除機を片手に出て来たのである。
「いいわねえ」その人は笑顔を見せ、いきなりそう言った。
どうやら女将さんらしい。開店前の掃除の途中のようだ。
「ずうっと向こうから滑って来るのが見えたから」
女将さんとは前回は会わなかった。キャプテンは二年前のお礼をしようとしたのだが、いきさつの説明がこの場の流れを止めてしまうように想われた。
「あの、水を使わせてもらえませんか?」
とだけキャプテンは尋ね、駐車場のホースを指さすと、
「どうぞ、どうぞ、いくらでも使っていいわよ。井戸水だから冷たいよ」
そう言って、自らかがんで蛇口をひねってくれた。
「しばらく出しっ放しにすると冷たいのが出てくるの」
そう言ってホースから勢いよく水を出し、手で水温を確かめていた。
「学生?」女将さんは顔を上げ、そう尋ねた。
こう言うことをするのは、学生に決まっている‥‥。その人の言葉にはそんな響きが込められていた。キャプテンはどう答えて良いものか迷った。素直に36です、と答えるのがまっとうだが、その後に続くはずの彼女の混乱ぶりを想うと面倒だった。
二年前、東京-富士山ブレード走行の際、山中湖畔で、地元の若い新聞記者に捕まり、インタビューを受けたことがあった。そのとき、正直に34歳だと答えた瞬間、彼は凍りついてしまったのである。キャプテンは、その説明のためにかなりの時間を費やさなければならなかった。
その新聞記者の顔を想い出しながら、キャプテンは無難に、
「社会人です」
とだけ答えておくことにした。すると、
「いいわねえ若い人は、こう言うことが出来て」
と、その人はため息交じりに言ったのである。
(いいえ、そんな‥‥ オレだって本当は36なんですから)
こころの中ではそう想っていた。
彼女の言葉の裏に有るものは、羨望や嫉妬か、それとも単なる社交辞令か。本当なら、「いいわねえ」と言う側にいたかも知れないキャプテンには、複雑な想いが迫ってくるのだった。
それにしてもこの家族は人懐こい人ばかりだ。女将さんといい、二年前のおやじさんといい‥‥ ほんとうに立ち寄って良かった。
女将さんは、キャプテンが充分に水を浴びたことを見届けると、
「ゆっくり休んでいって」
と言い残し、店の中に戻って行った。
するとそれと入れ替わりに、モップを持った、高校生とおぼしき、髪を亜麻色に染めた少女が出て来たのである。彼女はキャプテンのすぐ近くまで来ると、バケツに水を汲んでモップを洗い始めた。その間ずっと無言で目を伏せたままだったが、顔は終始ニコニコしていて、一度だけ目が会った瞬間に「こんにちは」と、小さく会釈した。
おそらく女将さんの娘なのだろう。きっと好奇心いっぱいで見物しに来たのだ。
「山道だったからね」
と、水を貰った理由をそれとなく伝えて、わざと彼女に良く見えるようにブレードを履き、ニィパッドを付けた。彼女は相変わらずニコニコして、その様子を珍しそうに眺めていた。
荷物を背負い支度が整うと、キャプテンは滑って駐車場を一回りし、
「それじゃあ、どうもありがとう」とお礼を言った。
彼女はモップの柄を立てたまま、笑顔でうなずいた。その照れくさそうな振る舞いが、何とも言えない柔らかな気持ちにさせてくれた。
ふと見ると、店の扉の向こうでは、女将さんも笑顔で手を振っていた。キャプテンはその姿に丁寧に挨拶し、再び127号の先へと向かうのだった。
滑り始めても、しばらくの間は二人の姿がちらついていた。たとえようのない懐かしさが、キャプテンの胸に残されていた。
「もっと、たくさん話しをすれば良かった‥‥」
そう想いながらも、足は前へ前へと進んでいた。
「あと一回くらい、あの子を笑わせてからでも遅くはなかったはずだ」
だがもう、引き返すことは出来なかった。
けっきょく、それから二時間ほど黙々と滑り続けていた。時おり強い陽射しが照って来ると、木陰を選んでは進んだ。車通りは少なかった。道の先で逃げ水が揺れていた。
少し急な上り坂に差しかかったとき、突然ブレードの挙動がおかしくなった。グラグラとよろめくような感じである。点検して見ると、ホイールのボルトが一つ外れて無くなっていた。そこで、平たんな場所まで片足で引きずって行き、工事現場の出入り口らしき広い場所で直すことにした。
座り込んで、予備のボルトと取り替えるていると、ゲートから土砂を積んだ大型ダンプが現れて止まった。
「学生か?」ダンプの運転手はいきなり大きな声でそう言った。
キャプテンは声のした方向を見上げ、「社会人だ!」と、ちゅうちょ無く答えた。
「そうか」そいつはそう言うなり、にこりとして走り出して行った。
そのすぐ後ろにもダンプが続き、同じようにキャプテンの横で止まって、今度は30代ぐらいの女の運転手が顔を出した。
「何処まで行くの?」
彼女はそう言って窓枠にひじをかけ、修理の様子を眺めていた。
「かもがわ」と、答えると彼女は、「えーっ?」と驚いたが、4日かけて行くと言うことを伝えると、納得した様子に変わった。1日で行ってしまうと勘違いしたらしい。
彼女はしばらく話しをして、これから先の道路状況を細かに教えてくれた。そのあと「気をつけてね」と言い残すと、127号を東京方面に向かって、豪快なエンジン音と共に走り去って行くのだった。
キャプテンは、今まで邪魔にされ、敵だと想っていたトラック運転手に、思いがけず励ましの声をかけられたことで、ちょっと感動していた。彼ら以外にも、道路工事をしていたニッカポッカのコワモテ兄さんに、「頑張ってな!」などと声をかけられる場面もあって、こりゃあ考え直さなくちゃいかん、と独り納得していたのである。
一年中、屋外で働く彼らにはむしろ、灼熱の路面を滑ることがどれだけ困難なことか、分かってもらえるのかも知れない。だからこんなバカな奴にも、邪魔者扱いすること無く相手をしてくれたのだ‥‥。そう想うと、励ましてくれた彼らに対しても、ますますリタイアするわけにはいかない、そう言う気がしてくるのだった。
修理が終わり、再び滑りはじめる。そろそろ昼だったし、比較的気分も良かったので、「そば屋」を探そうと想った。しかし、途中は畑や田んぼばかりで中々見つからず、けっきょく、前回新妻君と入った”アジの天ぷら”と”アジフライ”を間違えた店までたどり着いてしまったのである。
だが、それもまたいいと想った。二年前と何処がどんな風に変わったのか、見て歩くのもいいだろう。たとえば今日は、この先、明鐘岬の、あのおかしな男と女主人がいた『岬』と言う店を訪れるつもりなのだ。出発前、前回同行した新妻君が、「もし廃屋しか無かったらどうします?」と、冗談を言っていたが、それならそれもまた話しのタネになっていい。
大盛そばと冷やしトマトを食べ終えて外に出ると、二年前有ったはずの、ミゼットなど軽クラッシックカーが無くなっているのに気づいた。しかしそれ以外は何も変わっていない、遠く海の見えるかずさみなとの食堂なのであった。
1994年8月17日水曜日
千葉 - 鴨川・ブレード走行記(白浜でリアタイア)